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11月に公開された、三谷幸喜監督の最新作の映画『清須会議』は、本能寺の変で志半ばに倒れた織田信長の後継者を決めるべく、清須(清州)で開かれた会議のドタバタ騒動を描いています。1582(天正10)年に開かれた会議の結果は、ご存知の通り豊臣秀吉の天下となったわけですが、その8年後の1590年(天正18年)、牛肉パーティーを開いた戦国大名がいたことは、あまり知られていないのではないでしょうか?

天下統一の総仕上げに取り掛かろうとしていた秀吉は、最後まで従おうとしなかった北条氏を攻めるため、小田原に陣営を築いたところでした。戦時中とはいえ、諸大名にも側室を呼び寄せることを進めたり、秀吉自身も美貌の寵姫・淀殿を呼び寄せたり、もはや豊臣軍の勝利が決定していた小田原攻めは、のどかなムードが漂っていました。

そんな陣中で、豊臣傘下の蒲生氏郷と細川忠興が、高山右近の陣営を訪れた際に、右近が牛肉を振る舞ってもてなしたという記録が『細川家御家譜』に残っています。高山右近といえば…正義の人という意味の「ジュスト」という洗礼名も持っていたキリシタン大名として有名な武将です。

高潔なキリシタン大名と牛肉、意外な組み合わせのように見えますが、ポルトガルから日本に来た宣教師達は、牛肉を食べていました。右近はキリシタンだったので、仏教由来の肉を避ける風習がなく、いち早く牛肉を食べる習慣を取り入れていたのです。

残念ながら、右近が振る舞った牛肉料理が、どのようなレシピだったかまでは伝わっていませんが、おそらく味噌味で野菜と一緒に鍋で煮込んだのではないかと考えられています。もしかしたら、現代のわれわれのようにバーベキュー感覚で、野外でワイワイ楽しみながら、肉料理に舌鼓を打ったのかもしれませんね。

織田信長・豊臣秀吉・徳川家康、3人の天下人の時代を生き抜いた右近は1614(慶長19)年、徳川幕府によるキリシタン国外追放令を受けて、マニラに送られました。時世に従って棄教した大名も多かったなか、大名の地位を捨てても信仰に生き、その生涯を終えた高山右近。遠い異国の地で、右近の胸に去来した思いは何だったのか。若かりし頃、戦場を駆け巡った武勇伝と共に、小田原の陣中で仲間と味わった牛肉料理の味も思い出したことでしょう。

ぼくもお肉への信念なら負けないよ!

[参考]
『武将メシ』(宝島社)永山久夫著 


2013年12月10日更新

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『清須会議』から8年後、豊臣秀吉の天下で牛肉パーティーを開いた戦国大名がいた!