504_2808

今年は、徳川幕府最後の将軍、徳川慶喜の没後100年にあたる年でした。大政奉還を決断した名君なのか? はたまた利己主義者なのか? 15代将軍慶喜に対しては、未だに評価が分かれるところ。作家・林真理子さんはその疑問に迫るべく著書『正妻 慶喜と美賀子』(講談社)で、妻の美賀子をはじめとして女性の視点から、慶喜と彼が生きた激動の幕末期を描いています。

肉食がメジャーではなかったこの時代に、慶喜は豚肉を好んで食べていたそうです。将軍職に就く以前、御三家水戸徳川家から養子に迎えられて、御三卿の一橋家を継いでいた慶喜は、豚肉を好む一橋様、「豚一様」とあだ名されるほど、豚肉が大好きだったと伝わっています。薩摩藩家老の小松帯刀が国元へ送った手紙には、慶喜からの豚肉催促があまりにも多く困惑している旨が書かれています。手紙によれば「一橋公より豚肉度々所望」とあり、慶喜から豚肉を所望され、「皆々差上候」手元の豚肉を全部差し上げたという事です。慶喜の豚肉好き度がわかる挿話ですね!

既出の「薬の代用? 桜田門外の変の原因? 江戸時代から食べられた希少な肉とは?」の記事で紹介されているように、慶喜の実父、水戸藩の9代藩主・徳川斉昭は牛肉を好んでいました。また、斉昭の9女の八代姫は、仙台藩へお輿入れの際に、乳牛を伴っていたという記録が残っています。子女たちのお肉や乳製品好きは、斉昭の影響だったのでしょうか。

実は、慶喜と斉昭の父子は、子沢山だったことでも知られています。慶喜は正妻の美賀子との間の子どもは早世してしまうのですが、側室との間に男子10人、女子11人、合計21人の子どもをもうけています。

慶喜の幼名は七郎麿と言い、その名の通り、斉昭の7男でした。では斉昭は一体何人子どもがいたかというと男子22人、女子14人、合せて36人もいたそうです! 慶喜父子の子沢山は、お肉のスタミナのおかげだったのかもしれませんね。

そうそう、水戸徳川家といえば、黄門様で知られる2代目藩主・徳川光圀を忘れてはいけません。光圀は、日本人として最初にラーメンを食べたことで有名ですが、そのラーメンのスープのダシといえば、やはり豚肉。光圀が食べたラーメンは、塩漬けの豚肉でダシを取っていたと考えられています。当時は5代将軍徳川綱吉による生類憐れみの令の時代でしたが、光圀は、禁制を無視して牛肉、豚肉、羊肉などを食べていたのです。どうやらお肉好きは、水戸徳川家のDNAだったのかも。

徳川家とは仲良くなれそう

[参考]
『歴史のなかの米と肉』(平凡社ライブラリー) 原田信男著


2013年11月21日更新

お肉役立ち情報(和牛・国産牛)

精力増強の源は肉!? 徳川斉昭と慶喜、お肉大好き父子が作った子どもの数はなんと57人