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今年9月には、初代局長芹沢鴨の暗殺に新説も発見されるなど、今なお幕末ファンから熱い注目を集めている新選組。京都の壬生に駐屯していた折には、「壬生狼(みぶろ)」と呼ばれ、人々から恐れられていたと言われています。

不逞浪士を切りまくり、至る所で血の雨を降らせ、まるでオオカミのように恐れられていた…と書くとカッコいいですが、実は「みぶろ」という呼び方の由来には諸説入り乱れています。設立当初は浪士の集団だったことから「壬生浪」と書く方が有力なようです。ほとんどの隊士が貧しく、ボロボロの身なりをしていたので、京都の人から「みぼろ」と揶揄されたのだ、という説もあるのだとか。

そんな彼らは京都の西本願寺に駐屯していた頃に、豚肉を食べていました。しかも神戸からわざわざ子豚を持ち込んで育てていたというのです。これには将軍侍医・松本良順が関わっています。

あるとき、松本良順が、屯所まで診察に来たところ、男所帯の台所は残飯がたまっており、かなり不衛生な状況でした。それを見た松本良順は、「この廃物を以て豚を飼へば、必ず四五頭を養ふに足るべし。満年に至って屠(ほふ)り、隊中の壮士に食せしむべし。体力を進むる最善なり」と局長の近藤勇に養豚をアドバイス。豚を飼って残飯を食べさせ、育った豚を隊士に食べさせれば、残飯処理と栄養補給にもなり一石二鳥だったわけです。“屯所”ならぬ“養豚所”と化したわけですね。

肉食が一般的ではなかった当時は、結核患者は「薬食い」と称して、滋養に良い猪や、栄養価が高い豚肉などを肉鍋にして食べていました。もしかしたら、結核を患っていた沖田総司も、屯所で育てた豚を豚鍋にして食べていたのかもしれませんね。秋の夜長、夭折した天才剣士に思いを馳せながら、豚鍋をつついてみてはいかがでしょうか。

新鮮組って書いちゃうよね

[参考]
『日本の食はどう変わってきたか  神の食事から魚肉ソーセージまで』(角川選書)原田信男著


2013年11月19日更新

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壬生のオオカミ、ブタを飼う! 天才剣士・沖田総司も豚鍋を食べていた!?